18 Sun 2001 14:05:40 ヒトゲノム解読 環境・社会問題 人間の設計図ともいえるヒトゲノム(全遺伝子情報)がほぼ全て解読された。ヒトゲノムとは筋肉や臓器などの生体組織の基本となるたんぱく質の合成情報をコード化し、細胞内のDNA(デオキシリボ核酸)に保存されたものだ。情報量は約30億文字相当になる。解読作業は、アメリカのバイオベンチャー企業のセレーラ・ジェノミクス社と、日欧米などの国際共同チームによってなされた。その成果が発表されたのは、今年2月のことだった。人間の遺伝子は当初10万個程度と予想されていたが、実際は約3万個程度と以外に少なかった。この数はショウジョウバエより1万個多い程度だ。生物学的には、ヒトとハエは思っているほど違わないということのようだ。違う人種間でも99.9%の遺伝情報が共通している。遺伝子というと生物の形質や行動、能力を決定する絶対的なものというイメージがあるが、ショウジョウバエと比べても桁違いに遺伝情報が多いわけではなく、人類は99.9%の遺伝情報が共通していることなどを考えると、やはり環境との相互作用が、能力や形質の獲得に重要な役割を担っているということになると思う。「遺伝子決定論」は運命論に例えられる。形質だけでなく、能力や行動までもが遺伝子によって決定されるというのは、運命によって人生が決まると言っているのと同じだ。そこでは、人間は自らの人生を自分の意志で生きるというより、偶然に持って生まれた遺伝情報によって生かされているだけの存在に成り下がってしまう。個人の努力などは、より優れた遺伝子の前では、水泡と帰してしまう。占いの根本にあるものは決定論だ。全ては大筋で決定されていると考えるから、占いが成立する。そこには個人の心や魂が反映される余地は少ないだろう。人が大自然によって生かされている存在だということは確かなのだが、その言い方には一つ盲点がある。人も大自然、より厳密な言い方をすれば、人も宇宙を構成している存在だということだ。もし遺伝子が人の人生の大筋を決定しているとすれば、ある意味でこの宇宙の行き先をも決定しているということになる。ヒトゲノムはプログラムだと思うが、そのプログラムを書いたのは誰なのだろう?ひょっとしたら我々が神と読んでいる存在は、遺伝情報のプログラマーのことなのだろうか?たとえプログラムが決定されたものだとしても、そのプログラムを実行するのは我々ひとり一人なのだ。持って生まれたプログラムをどのような環境で使うのか、どのような状況で作動させるのかは、個々人の選択の余地がある。だから人を含めた生命の活性化し発展するためのキーワードは「多様性」なのだと思う。要は持って生まれた「プログラム」を最大限に活かせるフィールドを探すことだと思う。 スポンサーサイト