天邪鬼の独り言

日記、エッセイ、独り言、愚痴、フィクション、なんでもありのブログです。書きたいことを書きたいスタイルで書いていきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

自然療法的文化論(試案)

今の文明は100年後にも存在し得るか?

今までの経験を思索を基に、文化論を書いてみようと思う。
人間は自然から生まれた。いや、自然の一部だ。その観点から言えば、人の作ったものも広い意味では自然物と言えるだろう。狭義では、人の作ったもは人工物と呼び区別しているが…。
 私がこれからの人生、30年前後はあると思うが、を生きるに当たって、今までの行き方を総括した上で生きるノウハウというようなものを体系化し発展させたいと考えている。
 文明が全く入っていない手付かずの自然が大好きでその中にいると心身ともにリラックスするが、かといって人の創造したものが嫌いというわけではない。インドのバナラシの裏通り、デリーの古い町並みに残る中世を感じさせる風景と文化は好きだし、日本でも超現代的なところは物珍しさを感じるし、歴史の蓄積を感じさせる建物や町並みにも愛着を感じる。
 ただ、建物や製品、生活習慣などおよそ人が作りだした物すべての自分なりの価値評価基準は、それが周囲の環境と整合性が保たれているかどうかだ。
 周囲とはいわゆる自然環境のことだが、周囲との調和と物理的な整合性を欠いた文明が遠からず滅んで行ったことは、多少歴史を学んだ者なら誰でも知っていることだ。
 この自明なことが教訓として活かされていないのが、近代に発生し現代にまで影響している西欧式の市場経済至上主義とも言うべき文明のシステムだ。
 環境汚染・破壊が問題となって既に100年以上経つというのに、根本的にこの文明システムを見直し変えて行こうという動きは、ようやく緒に就いたばかりで、まだ実効性は薄い。
 この命題に私個人が大上段で取り組むにはあまりに非力だが、その中に自分と関わりの深いテーマを見つけてそれを基に問題を掘り下げ考察し解決のための方向性と方法論、ノウハウを提案することが可能だと考えている。
 いまここに著しつつあるのは、その考察と体系化された新たな価値の提案だ。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。