天邪鬼の独り言

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幼馴染と初恋の人の思い出…2

「あいつとはもう別れたよ。絶交したんだよ」
「それに俺がなんでお兄さんを殺したいと思ったのかが、わからないよ!」
僕は彼女の兄が死んだこととは無関係だということを、どうしたら彼女に信じてもらえるのだとうかと思いながら、そう言った。

「そう、別れたのね。それでちょっと安心したわ。もう関係ないのね。」
「関係ないよ。もう二度と会う気もないし。でも、何で俺がお兄さんの死と関係があると思ったの?」
「ごめんなさい、久しぶりに話したというのに、こんなこと言って疑ったりして。突然の兄の死で気持ちがとても動揺していて、どうしたらいいかわからなかったのよ」

せっぱつまって、攻撃的だった美智代の口調がかなり和らいだのを感じた。でも、なぜ僕を疑ったのか、依然として理解できなかったので、僕はさらに説明を求めた。

「話せば長くなるわ。時間大丈夫?」

時計を見ると午後10時半ちょっと前だった。でも、時間の問題じゃない。たとえ徹夜になったとしても、説明を聞かなくてはならないと思っていたので、そう伝えると彼女は続けた。

「じゃあ話すわ。でも、その前に電気を消して欲しいの。部屋を暗くして。真っ暗よ」

ちょっ奇妙な要求だったので、なぜかと問うと、目も閉じて私の声だけに集中して欲しいとだけ言って彼女は話はじめた。

「私たちが最初に出会ったのは、まだ二人が幼稚園に行っているときだったでしょう?覚えている、そのときのことを?」

最初の出会いまでは覚えてないと言うと、彼女はよく覚えていると言った。僕が母親に連れられて登園する日に来たのだという。彼女の家は近所で、幼児の足でも5分とかからない距離だった。誘拐や交通事故などを警戒する昨今では考えられないかも知れないが、当時は幼稚園児でも一人で登園していることがあったのだ。でも、やはり一人より二人の方が何かと心強いだろうと考えたのか、母親が同じ年齢で同じ幼稚園に通う園児が近所に居ることを知り、僕と一緒に登園しないかと、誘ったらしいのだ。

「あなたは最初うちに来たとき、緊張していて、まったくしゃべらず、あなたのお母さんに促されて、ようやく、おはようございます、とだけ挨拶したのよ。その日以来、小学校に入学するまでの3年間。あなたはほとんど毎日のように私を迎えに来てくれたわね。あなたが迎えに来ても、私は準備ができてないことが多く、あなたは「まだ~?ミチヨちゃん早くして!」と足踏みしながら繰り返してたのを、いまでも覚えているわ」

よく覚えているなと思った。出会ったときのことなど、とっくに忘れていたが、彼女に言われてぼんやりとだが当時のことを思い出し始めていた。彼女は僕が思い出したことを確かめた。当時のことを僕自身の記憶で確認できてないと、話すことが意味を持たないのだと彼女は言ってから、話を続けた。

「朝から夕方まで、私たちは一緒だったわね。毎日のように。登園のときも帰るときも一緒。帰ったからも一緒に遊んだわよね?まだ幼児だったけど、二人は仲がいい夫婦のようだと近所の人から言われていたらしいわ。実際、ままごととかして、夫婦の真似事のようなことをして遊んでいたし。一緒にいたときにはそれがあまりに当たり前過ぎてわからなかったけど、あなたが病気で3ヶ月も入院したときには、幼いながらも自分の中の何か大切な部分が無くなったように感じたのよ」

僕は6歳のときに重い腎臓病を患い3ヶ月も入院したことがあった。入院したと言っても記憶ではただベッドで寝ていただけだったが、食事療法で塩分がほとんどないようなまずい食事しかできなかったことだけが、辛い思い出として記憶に残っている。彼女は一度母親と一緒に見舞いに来てくれた。僕が大好きだったディズニーの絵本、当時としてはかなり高価なものを持って。でも、感染症だと思われていたせいか、僕は彼女に会わせてもらえなかった。そのときだけ、僕はダダをこねて泣いた。ミチヨちゃんに会いたいと。早く退院して一緒に遊びたいと。

僕の容態は一時、かなり悪かったようだ。おしっこがあまり出なくなったときらしいが、母親は死を覚悟していたそうだ。でも、幸いなことに、食事療法が効いたこともあってか、無事退院することができ、その後も人工透析をするようなこともなく、今日に至っている。

「僕も君と遊べなくなったことは、辛かったよ。退院してまた一緒に登園しはじめたときは、本当にうれしかった」

「退院したときに、カステラを持って来てくれたわね、木箱に入った。とても美味しかったわ、今でも覚えている。今ではカステラなんて、若い人は誰もご馳走だと思わないようだけど、私たちが子供の頃は、カステラはとても贅沢なお菓子だったわね。しかも木箱に入ったカステラなんて、高級品で私の家ではとても手が出ないものだったから、よけいに印象に残っているのよ」

今では没落してしまったが、僕が幼い頃の家は、田舎町では資産家の部類に入り、商売を営んでいたこともあり、屋号を出せば、町中では知らない者がないくらいだった。自分では自覚はなかったが、幼かった頃の僕は「ええとこのぼんぼん」だった。



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