天邪鬼の独り言

日記、エッセイ、独り言、愚痴、フィクション、なんでもありのブログです。書きたいことを書きたいスタイルで書いていきます。

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人に値段を付ける風潮

前のブログの記事で、人に感動や貢献を与えた量と年収が比例するという主張に反論したが、これは、価格が高いものは、それだけの価値がある、ということを単純に信じている結果だろうと思う。

年収が(その年の)人の値段だというわけだ。

そう考えれば、年収が高い=価値のある人 ということになる。
それと、感動させることが商売の秘訣だという、数年前からはやっている「感動マーケティング」を結びつけた考え方だろう。

まぁ、自分でも広告宣伝のプランニングや営業補佐的仕事もしていたから、その手のマーケティングの本を何冊か読んだことはあるし、多少はそのアイデアを取り入れてはいるが、「年収」=「人の価値」だとかまで言われると、低収入の自分としては、納得できる話ではない。

感動させることそのものを重要視するのなら、アーティストやエンターテイナーにでもなればいいと思ってしまう。

それと、商品の実質的使用価値と価格は比例しない。
ブランド物と言われる商品が高く売れるのは、それを持つことが社会的ステータスだと信じ込ませた結果だ。商品そのものの価値より、ステータス・イメージに群がる人が多いから高くても売れているだけの話だ。

人も同じで、有力者のご機嫌伺いがうまくて取り入ることに長けた、世渡り上手が出世することくらい、サラリーマンをやっていたことのある者なら誰でも知っていることだ。

仕事の分野の技術や知識や情熱、努力だけでは、高額所得者になれないことくらい常識だ。
金儲けや出世は、ある種の才能を必要とする。
人格とか精神性、感動とかは、また、別の要素だというのが、まともな判断力と常識を持った大人の考えることだと思う。

まあ、完全に否定はしないが、一種の極論、超単純化した話でしかないとは思う。
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