天邪鬼の独り言

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投票棄権は独裁国家への一里塚

今月末に参議院の選挙がある。選挙の度に問題になるのが投票率だ。日本では国政レベルの選挙でも、投票率が6割にも満たないのが常態化している。納税は国民の義務で、支払わなかったり脱税しようものなら逮捕されることもあるくらい厳格に取り立てられている。一方、選挙の投票は権利だが、4割以上もの人が権利放棄をしていても一見、何の問題もないように見える。

この落差は一体何を意味しているのだろうか?

2007 ベルリン国際映画祭に招待された日本のドキュメンタリー映画「選挙」(想田和弘 監督)では、典型的な日本式選挙活動をテーマにしている。この映画が海外で公開され話題になったので、観客の反応や感想をニュースで聞くことができた。その全員が、日本の選挙活動は本来の選挙の意味からは著しく逸脱しており、こっけいですらあるという意味のことを語っていた。

我々日本人にとっては選挙と言えばおなじみの、候補者の名前の連呼や、集まって来た人と片端から握手をして回ること、ただただ自分に投票してくれと土下座までする様子でさえ、全く驚くには当たらない選挙の日常とも言える行動なのだが、外国人(主に欧米人)にとっては、それらは全て異様で不思議で無意味に映ったようだ。

ごくごく基本的なことだが、議員とは議会の構成メンバーで政治的、社会的、公共的な問題点を議論し、それに対応する法律を作ることを通じて問題解決を図る人たちのことだ。あるいは、社会生活を営む上での国民の権利と利益を代弁する役割を担った人たちと言うこともできる。

その議員選びが選挙だが、それを放棄するということは、社会的なことは自分個人では考えないし決定に参加もしないと行動で示していることになる。いわば、社会的公共的な活動や政策の白紙委任ということだ。

その理由はいくつかあるだろうが、代表的なものをは3つほどあると思う。
その一つは、政治と自分個人、個人的生活は関係ないというもの。
二つ目は、自分が投票しようがしまいが、体制と大勢に影響は与えられないというもの。
三つ目は、投票したいと思うような政党も候補者もいないというもの。

どれも基本的には間違っていると思う。そこに感じられるのは、無関心、無責任、無力感、めんどくさいことはしたくないという消極的な態度だけだ。

外国人の目に異様に映った日本の、特に自民党を代表とした既成政党の選挙活動が現状のようになっているのは、政党や政治家だけの責任とは言えないと考えている。我々国民の多くが、国や地方自治体の現状と未来を決める議会や議論に参加する権利を放棄した結果が、政策ではなく名前の連呼であり、政策の説明や思想的な説得ではなく、義理人情
に訴えるカタチの選挙活動として実現しているということだと思う。政治に金がかかりすぎるのも大きな原因ではあるが…

我々が本当に国や自分が住んでいる町や村に関心があり、その行く末を真剣に考えているとしたら、名前だけを連呼する候補者や、ろくに政策を説明も説得もせず、握手やお辞儀だけを繰り返しているような候補に投票するはずがない。候補者にタレントや政治にそれほど関心があるとも思えないような有名人が多いことに典型的に現れているが、選挙を人気投票程度にしか認識していない人が多いのもこの国の特徴と言えるだろう。

政治と行政は我々の生活に直接結びついていて、影響を与えている。いま世間を騒がし大問題になっている年金問題や消費税増税の問題などを見ればそのことはすぐに納得できるだろう。政治に関心があろうがなかろうが、関係ないと思っていようが、政治はいやおう無く個人の生活に直接関わってきて影響を及ぼしているのだ。

政治に無関心で選挙権を放棄するのも個人の自由かも知れないが、その選択をしたときから、政治家や官僚がやることに、後から批判したり口出しする資格がなくなると思う。棄権は白紙委任と同じだからだ。

自分の行動を自分で考え決定するのが基本的人権であり自由の基本だと思うが、棄権は社会的なことに対する自己決定権の放棄だ。
そんな人が四割以上もいる国を、真の意味で民主主義国と言えるだろうか?実際、戦後日本では、一時期の例外の除けば、ほぼ自民党主導の政権の独裁と言ってもいい政治状況が続いている。

選挙に行かないなら、選挙制度も議会も不要だ。投票する人と選ばれた議員だけに自分たちの未来を決めさせている人は、自分の行動を他人や上の立場の人に決めてもらいたいと思っているのだろう。

二十歳以上の全ての男女に選挙権があるのは、日本国民自らの戦いや活動の結果ではなく、アメリカに負けたからだとも言える。一部の特権階級だけが国策を決定できた封建的で独裁的な国だった戦前の日本を民主化するために、アメリカが選挙の在り方の方向性を示唆し指示を出したから、いま我々は納税額や出身に関わらず投票することができる。

いわば、上から与えられた権利でしかないから、その本当の意味や価値がわかっていないということなのだろう。学校でも民主主義の真の意味と価値、それを実現するための選挙について、ちゃんと説明するような授業は行われていないように思う。

今回の参院選挙でも、多くの人にとっては、ベストの候補はいないだろう。ひょっとしたらベターな候補すらいないかも知れない。それでも、自分のことは自分で決めたいと思っているなら、投票にいかなければならないと思う。あらゆる角度から検討しても、妥協しても、投票したい政党や候補者がいないのなら、白紙で投票したらいい。これでも政治に関心があり、政治に参加する意志はあるが、自分の代表としたい候補はいませんよ、という意思表明にはなりうるからだ。

個人の行動の枠組みを決めているのは国、政府だ。その国が個人の自由を制限すれば、いくら自分だけは自分の好きに行動したいと思っても不可能に近い。北朝鮮の国民だって、自分たちに関わること全てを金正日に決めて欲しいと思っているわけではないだろう。

選挙は自分個人と国の関係を考えるいい機会だと思う。空気のように感じている政治や社会的状況が、実は、選挙を通じてその方向性のかなりの部分を決定できることに気付いて欲しいと思う。

空気が汚染され、あるいは希薄になり、息苦しくなってからでは、清浄な空気を取り戻すことは不可能かも知れない。

呼吸困難な状況では、自由な行動はできなくなるのだから。

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