天邪鬼の独り言

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ストレスのはけ口としての「いじめ」

もう、日本の日常的な出来事と化した感のある「いじめ」だが、その根本の原因を分析した上で解決法を示している人は少ないように感じている。

あまりに日常的で、自分とは全く関係ないと言い切れる人がほとんどいない問題だからなおのこと、近すぎてその原因や背景、普遍的に適用できる解決法が見えてこないのだろう。

いじめの一般的な定義は、「自己より身体的、社会的に弱い立場にいる人に対して、一方的に身体的・心理的・社会的な攻撃を継続的に加え、心理的、肉体的、社会的に相手にダメージを与える行為」ということだろう。

一方、いじめはある意味主観的なことでもある。同様の攻撃であっても、それを「いじめ」と認識する人もいれば、単に皮肉や悪ふざけ程度にしか思わない人もいるだろうからだ。

私は現在40代後半だが、子供の頃にいじめはあった。私自身の主観では、自分がいじめる側に立ったことはないが、傍観するという行為によって、結果的にいじめる側に居たのだと、何年も経ってから自覚した覚えがある。

基本的ないじめの構造は今も昔もそう変りはないと思うが、決定的に違うのは、今のいじめは殺人にまで発展するケースがあるということだ。いじめた側を法的に訴えるというのも、私が子供の頃は聞いたことがない。

何が変ったのか?
いじめの背景には学校社会があり、学校の背景には大人社会があり、さらには国家がある。

この20~30年ほどで一番変化したのは、社会生活だろう。いじめの質的変化(悪化という方が当たっていると思うが)は、戦後日本社会の変化と相関関係があるように思える。

いじめは日本だけにある現象ではないが、携帯電話のメールやサイトを使うような手口の巧妙さ、かばう者がいない陰湿さ、自殺者が出るほどの陰湿さは、残念ながら日本に特徴的な現象だと思われる。

いじめと同様に静かに広がっているのが「ひきこもり」だ。いじめがひきこもりのきっかけになることも多いようだ。不登校も増えている。「不登校」=「ひきこもり」ではないが、ひきこもりの全員は不登校だ。

最近はマスコミネタとしては注目されなくなったが「援助交際」というのも、30年前には無かったと思う。少なくとも今ほど普及はしてなかったはずだ。

自殺願望というのもある。自殺志願者サイトなるものがあって、そこで一緒に自殺してくれる人を募集して、結果的にか意図的にははっきりしないが、自殺幇助が殺人に発展した事件もあった。

「いじめ」「不登校」「ひきこもり」「援助交際」「自殺願望」。これらに共通するのは、対象となっているのが10代から20代の若者であるということ。

事件報道や週刊誌などの背景記事を読んでいて感じるのは、この5つの青少年の社会問題は、それぞれが別々に起こっているわけでなく、相互に関連しあい、対象者が重なり合っているということだ。

いじめられ→不登校になり→ひきこもってしまい→リストカットなどの自殺未遂や自殺願望に陥る、ことも珍しくはないように思う。援助交際だけは女子が対象なので、多少事情は異なるが、自殺願望のある援助交際の女子というのはいる。

最近のいじめの特徴としては、いじめる側といじめられる側がはっきりと区別できないことだ。相互に入れ替わることも珍しくはないらしい。ということは、いじめる側に何らかの問題や欠点があるからというより、単にきっかけの問題で立場が入れ替わると分析した方が正しいだろう。

大人社会、特に会社や組織でもいじめはある。指導と称して「いじめ」を行っている会社もある。100人以上の死者を出したJR西日本の列車事故で明らかになったが、運転士の再教育と称して、実質的には人格を否定するようないじめが行われているのは、JR西日本だけではないはずだ。

いじめは潜在化している。だからその実態は大人にはわかりづらい。いじめと悪ふざけの境界線があいまいだからと言う言い訳も用意されているし、自分の監督責任を取りたくないということもあって、教師や親もいじめを認めたくない気持ちがある。

文部科学省主催の有識者会議などが、いじめた側を排除すれば(登校禁止など)問題が解決するようなことを言っているようだが、いじめは集団で行われており、首謀者を一人に特定することは困難だし、被害者と加害者の立場が入れ替わることがあるのが、いまのいじめと特徴だとしたら、このような対応では問題解決からは程遠いと言わざるをえない。

子供は大人の鏡だという話があるが、大人社会のストレスや閉塞感が弱い立場の子供に影響していることは否定できないだろう。建前では実力主義で機会平等を謳っているのが日本社会だが、実際は既得権や才能のある者が最初から優位に立っていることくらい、誰でも知っていることだ。

弱者切捨て、臭いものには蓋、本音と建前の使い分け、周囲や上位者と同調はするが思いやることはしない、異端の排除、感情の抑圧。これらが現代日本社会の根底にある負の側面だと思うが、そのストレスを最大限に受けているのが、子供たちではないだろうか?大人も子供もいま、うつ病や抑うつ傾向の人が増えているが、問題を表面化させないことによる副作用が、精神と社会の水面下で人格と人間関係の荒廃を推し進めているようだ。

いじめ問題を根本的に解決するには、いまの社会のあり方を問い直し、協調と思いやりを基調としたストレスが少ない社会、解放的で風通しの良い、感情表現が否定的に取られない社会風土を作り出すしかないと思う。



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