天邪鬼の独り言

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身近になった認知症

うちの祖母は典型的な認知症だった。
祖父が死んでから落ち着きが無くなり、その数年後からは、はっきりと記憶が欠落しはじめ、最後は妄想まで出てきて、寝たきりで死んだ。

当時はアルツハイマー病などという病名すら一般的ではなく、高齢になれば、一定の割合でぼけるのはしかたがないという雰囲気だった。家族も呆けた年寄りがいることを恥じる雰囲気があり、また、気丈夫だった祖母が見る影もなくなっていく様子を外部に知られたくはなかった。

その分、家族の負担は大きかったように思う。両親共に働いていたので、地元の高校に通う私が、午後下校した後に様子を見ていることが多かった。おかげで部活もさぼりがちで、部員に冷たい目で見られたこともあるが、呆けた祖母を監視しなければならないから、とは言えなかった。

いまは「認知症」という名で病気が認知されたと思っていたが、まだまだ、病気だという認識がない人が多いことを知り意外に思った。

もっとも、家族でもなかなか呆けが脳の病気だと認めたくない意識が強いから、無理もないのだろう。

一人暮らしだと罹りやすいとか、がんこな人はあぶないとか言われるが、必ずしも、高い確率でそういう人が呆けるとは限らないと、認知症に関する情報を知れば知るほど思う。誰が罹ってもおかしくないのだ。

認知症が進む過程で、よく知っているはずの家族が別人格に変貌していく。自分の子供すら認識できなくなることも珍しくはない。うちの祖母もそうだった。

この数年で、認知症をテーマにした映画が数本封切られている。最近では国際派俳優として有名になった渡辺謙主演の「明日の記憶」が上映されいるので、観た人は結構いると思う。認知症に興味がない人でも、自分が自分であるとはどういうことか?家族や身近な人との関係の基盤になっていることとは何か?を考えさせてくれると思う。

呆けていく祖母の介護を負担に感じいただけの自分だったが、自分の記憶を正気すら少しづつ失って行った祖母の気持ちを、これらの映画を観て、少しは思いやることができるようになったと思う。

映画では認知症は精神がゆるやかに死んでいく不治の病とされているが、治療法が進歩して、いまは、進行を止める薬もあるという。特に初期の段階だと効果がはっきりとわかるらしいから、認知症が疑われるような症状が続いていたら、早期に専門医の診断を仰いだ方がいいようだ。
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